マルチメディア型備忘録

流れ行く情報の中で忘れたくない物を張っつけておくためのところ。
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昔は出会いの場は少なかった。だから狭い世界で出会った人と、多少のことは目をつむって暮らしてきた。昔の大人は我慢強かった。世界が狭いがゆえに、そこで生きて行くしかないことをよく知っていた。狭い世界は、15年や20年も人生を送れば、一通りのものが見られた。その世界の外側があることは認識していたが、手が届くものではなかった。好奇心は失われ、黙々と生きる日々を送ることができた。それが「大人になる」という事だった。

いま、世界は事実上、無限に広がっている。人々との出会いはいくらでもある。住みたいところに住み、食べたいものを食べ、寝たいところで寝る、そういった事も、そう難しい話ではなくなった。広がりすぎた世界にいると、好奇心は満足することがない。飽きることがない。「好奇心を失うこと=大人になること」だった時代は、そこで終わりを告げる。世界は無限だ。昔の大人から見れば、彼らはいつまでたっても子供のままに見えるだろう。
人間は、蓄積がモノを言う。
 その道10年の奴と、今期から手を出しました、では勝負にならない。
 新卒と、ベテランに同じ戦力は求めない。

 歩いてきた道は嘘をつかないし、知っている道は早足で抜けることが出来る。落ちた落とし穴は2度目以降は警戒する。

 これは、「貯めてる奴が、貯めてる分野では強い」という当たり前の話であって、じゃあ若者は勝負にならないかというとそういう話ではない。

「貯める気がある奴が強い」

 若者だろうが、今まで蓄積が無かろうが「貯める気があればどこまでも蓄積されていく」

 教える側からすれば、
 貯める気のある奴には、突っ込んでモノを教えるし、考え方を教える。
 貯める気の無い奴には、近道と結果だけを出す方法しか教えない。

 教える方だってコストが高いんだから、蓄積する気の無い奴を相手にしてられないわけだ。

 教えてもらう側もこれは一緒だ。
 教えてもらう側になった時は「蓄積する気がある/ない」を明確にするのがいい。

 蓄積する必要がなければ、単純な手順だけ覚えてショートカットすればいい。
 蓄積する必要があれば、仕組みと考え方を理解しないといけない。

 それが明確なら教える方のコストだって明確だ。覚える気のない相手に、懇切丁寧に教える必要もなくなる。

(大事な事なので角度を変えて2回書きました)

 世の中の、やる事、やれる事の量はもう、とんでもないので。
 すべてを覚える事は不可能だ。

 ただし、何かをやろうとしたら、自分が出来ない事を出来る人の世話には必ずなる。
 自分にない蓄積をしている人はリスペクトしたい。

働く人が自分の能力を積み重ねる話。:島国大和のド畜生

思わず全文引用。
いろいろ同意。

(via tatsukii) dsbd

2011-02-06

(via hetmek)

愚民思想というのは根強く、「ほんと、日本人ってバカばっかりだよな」という具合に、愚民思想に賛同する人というのは結構存在する。愚民思想が根強い人気を持っているのは、「人間は自分が批判の対象になっているとは想像もしないものである」からだという。私がこの真理を実感したのは、綾小路きみまろのファンを分析するテレビ番組を見た時だ。

その番組では、「綾小路きみまろのファンは、毒舌ネタのことを他人事だと思っている」という驚くべき事実を告げていた。綾小路きみまろの毒舌ネタは、中高年の哀愁を笑い飛ばす自虐ネタであり、ファン(当然、中高年が多い)もまた、自分自身を笑い飛ばしているものだと私は思っていたのだが、実際はそうではなかった。客に毒舌ネタの感想を聞くと、多くのファンが「いるよね、こういう人(笑)」という反応を見せていた。ファンにとって、毒舌は自分自身に向けられたものではなく、あくまでも「自分以外のかわいそうな中高年」を綾小路きみまろと一緒にイジッている、という感覚だったのだ。

このような鈍感力は、ベストセラーになった『バカの壁』にも通じる。私はこの本を読んだ時、「はいはい、どうせバカで話が通じなくてすみませんね」と、養老センセイに腹を立てたものだったが(笑)、どうも世間の反応は違ったらしい。この本を読んだ人の多くは、「いるよね、こういう話の通じないバカ」と、溜飲を下げていたというのを知って、私はショックを受けた。
せっかくなんだかんだ理由をつけて、「自分のできることはここの範囲まで」と
あえて制限をつけた事で、一種の安堵感を得ているんだよ。
だから、そこに広角やら望遠やらで、できる事を増やしてしまったら、せっかく制限したのに
また余計に考えなければならないこと、やらなければならない事が増えてしまう。 だから絶対に広角も望遠も買わないんだ。 標準しか持ってなければ、いつまででも
「この1台のカメラとレンズを使いこなせば写真は上手く撮れる」と安心感を得ることが
できる・・ たとえそれがネガティブな原因や誤解に基づくものであったとしてもだ。

(出典: toptumbles)

小学校で先生からしつこく言われた

習字などでの「下手でもいいから、自分でできるかぎり丁寧に書きなさい」
テストでの「これでいいやと思わないで時間がある限り何度も見直しなさい」

は本当に大事なことだったということ
morinatsu:

hoysijejomar:

cracks me up this is why i have dogs lol 

夜中に吹いた。とてもくやしい。

morinatsu:

hoysijejomar:

cracks me up this is why i have dogs lol 

夜中に吹いた。とてもくやしい。

『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』という本を読んで、次のような抜き書きを作りました。言ってみれば「盲信の十戒」です。

1.口伝だからと信じるなかれ … 口伝された「神の言葉」だからといって、真理を判断する基準にはならない。

2.伝承だからと信じるなかれ … 師匠から弟子へ、親から子へと伝えられてきた教えだからといって、真理を判断する基準にはならない。

3.伝聞だからと信じるなかれ … 「皆が言っている」「よく言われている」からといって、真理を判断する基準にはならない。

4.聖典だからと信じるなかれ … 本に書かれているからといって、真理を判断する基準にはならない。

5.論理的だからと信じるなかれ … 演繹的に導かれたからといって、真理を判断する基準にはならない(言葉に依存している限り、言葉の定義によって結論は変えられる)。

6.推測に合っているからと信じるなかれ … 帰納的に導かれたからといって、真理を判断する基準にはならない(個別のデータから普遍的法則を導く認識作用は不確かである)。

7.言葉が巧みだからと信じるなかれ … 表現方法や話術が巧みだからといって、真理を判断する基準にはならない。

8.結論が自説と同じだからと信じるなかれ … 自分の価値観や思考と同じだからといって、真理を判断する基準にはならない。

9.あり得る話だからと信じるなかれ … そうである可能性があるからといって、真理を判断する基準にはならない。

10.聖者だからと信じるなかれ … 尊敬できる人の言葉だからといって、真理を判断する基準にはならない。

読み物 - 377. 盲信の十戒、科学の価値観 - 起-動線

仕事場に貼っていいレベル

(via aso)

たとえば禁煙エリアにもかかわらず道端でタバコを吸っている若者がいるとします。当然それはよくないことですが、だからといってそれを発見したおじさんが注意しようと「おいお前!ここは禁煙なんだからダバコ吸うんじゃねー!」と言ったとします。確かにルールを破っているのはタバコを吸っている若者なのでこう言われても仕方なさそうですが、この場合、どちらも間違っています。タバコの男性も注意したおじさんもダメなのです。いくら相手がルールを破っているからといって、乱暴に注意をする資格なんて誰にもないのです。乱暴に注意した時点でそのおじさんも、タバコを吸った人同様に人に不快な行為、たとえば「死ね」という言葉を発するのと同じです。「乱暴に注意をすることは、乱暴な言葉を発する以上に乱暴をしている」のです。
 また性質が悪いのは、どさくさにまぎれて自分のストレスも一緒に詰め込んでしまう人です。普段のイライラも一緒にその若者に対して「おいお前!」と、自分が正義だから守られていると誤解して、注意に自分の怒りを上乗せするのです。こういうことが社会ではよくあって、ルールを取り締まる人はこの手のタイプが多いです。立場や権力を利用して、自分のストレスを無意識に上乗せして注意する。これじゃ世の中よくなりません。
なんか、良い学校出て、良い会社勤めて、まじめに退職まで勤め上げないと、ホームレスになっちゃうぞ的な脅しが、この国の教育を支えてるのは間違いないからね。勉強するモチベーションなんてそいう脅しによるものでしょ、多くの子は。最低な社会よね。しかもそれ、嘘なんだよ。

Twitter / マ儿コ

2008-09-11

(via onehalf, jinon) (via usaginobike)

(via edieelee) (via maccomacorin) (via yaruo) (via katarinax)

求められる才能は、「気づく力」だと思います。
たとえば、缶コーヒーのCMをつくるとして、
缶コーヒーをグイっと飲んで、うまい!じゃなくて、
缶コーヒーをグイっと飲むとき、「人は上を向いて飲む」
という発見をしたとします。
そうすると、落ち込んでる人がいて、缶コーヒーは
ただ美味しいのではなく、「上を向かせてくれるドリンク」という
コンセプトがつくれます。そうするとストーリーができてきます。
日本の根性論の問題は根性が無尽蔵だと思っている所。日常も頑張れ、勝負所も頑張れ。結局飛び抜けなくて平均的になってしまう。根性にも限りがある。如何に重要な所にそれを集中させるかが大事

Twitter / 為末 大 (via katoyuu)

自転車やトライアスロン関連の英語のトレーニング文献を幾つか読んで最初に目から鱗だったのは、トレーニングとは「いかにして頑張らないで結果を出すか」という点に注力していたこと。手を抜け、ということではなく、最小限の努力で最大限の結果を出すにはどうすればいいのか、という観点から様々な手法が検討されている。

(via pdl2h)

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